昭和五十六年十一月十二日 朝の御理解
御理解第七十九節
商売をするなら、買い場、売り場というて、もとをしこむ所と売り先とを大事にせよ。人が口銭を十銭かけるものなら八銭かけよ。目先は二銭損のようでも、安うすれば数が売れるから、やはりその方が得じゃ。体はちびるものではないから働くがよい。
 昨日は筑豊支部の支部大祭のおかげを頂きましたが、あちらへまいりまして頂いた亊は、この薫るようなと言う亊でした。“薫る”草かんむりに重いと書いて、点、点、点、点(、、、、)ね。いわゆる心です。点々々は心です。“自然を重んずる心”と言う。私は成りゆきを尊ぶ大切にすると言うことを、非常にまあ合楽理念の芯のようにまあ、申しますけれども、この薫るようなおかげを頂く亊の為ね、お互い精進しなければいけないね。そん為にはいよいよ、クサかんむりは自然と言う亊でしょう。自然の働きそのものを重んずる心。ね、そこにあのう薫るようなおかげ。だからこれは私、思いますのに、私のまあ半生と言うかこうして信心に打ち込ませて頂くようになって、この方の亊を思うてみると、私は今日、例えば合楽でこの頃、山口のあれは何と言うか、何んとか(広東教会)教会の先生そして御信者さん方がここへ参拝してみえました。そしてその後にそこから出ておる雑誌を送って頂いたんですけども、兎に角あのう、まあ言うならば真、善、美足うた教会と言うふうに表現しとられますね。もう部屋、部屋の調度品は全部一級品でと言ったようなふうに書いておられましたが、まあ言うならば薫るようなと言う亊がこう当てはまるんじゃないかと思うんですよね。ですからなら、そういう今日、合楽おかげを頂いておるなら、私共がまあ三十年前に、昨日も車の中で家内とまあ、昨日の御理解を頂いてからでした。私共がまあだ、豊美が小学校一年、勝彦が二つ違いですから六つでしょうか、の時分にゃ兄弟二人で毎日薪(たきもの)を拾う。燃料を拾ってあのう、おった亊を家内が自動車ん中で、ほんにそういや、そげんじゃったなあ。家は燃料と言うものを買った亊がなかったですね。福岡の町の、に住んでおってから。不思議にね、あの辺でその薪を拾うて、それやら石炭やらね、燃料を、燃料と言うものを買うた亊がなかった。まあ買えなかったと言いやそれまでですけれども。やはりもうまあ神様は下駄でも拾うて廻れとおっしゃる位でございましたから、まあ拾うた下駄で間に合わせて居ると言うまあ、そういう時分の亊のお話を昨日も皆さんにも聞いて頂いて帰る車の中で、ほんにあな兄弟は二人で毎日たきものを拾うて来てたきものもやっぱり、こう小さい輪にしてから、いつも余裕がある位にねありました。燃料なんか勿論、三十数年も前の話ですけれども、言うならば、もう分にすぎた生き方と言うものをしませんでした。勿論、神様に対して布、一寸買いません。と言ったような修業させていただいとるときですから、そして昨日、私はその薫るようなおかげが頂けた。今日まで頂けておるとするならばですね。あのう言うならば成りゆき、そのもの、ね。例えばなら当時一万円なら、一万円の収入しかないならば、一万円超すような生活を絶対しなかったと言う亊。その時分はだから無収入に等しい状態でしたから、だから買うと言う、言うなら亊じゃなくてそれこそ、まあ福岡の町でたきもの拾うて廻ったち言うものは、私共だけでしょうけれども。たきものを拾うてまわったちいうのも、やっぱし当時、大坪さんこの頃ちょっとおかしいんじゃないかと言うふうに言われたのも、その時代だったと思うんです。ね、けどもそれはどこまでも、言うならば何と申しますかね。分に過ぎた生き方と言うならば、自然を大切にすると言ったような、例えば十万円の給料しか取って来ないのに十一万の給料(生活)をしたら贅沢です。もう、それだけでも自然をこわしますね。私は今日は商売に対する、売り場、買う場を大切にすると言う亊をまあ、言われるですから仕入れ先を大切にしなければいけない。お客さんを大切にしなければいけない。大切にすると言う亊だけではなくて、ね。それこそ十銭のものは八銭で売れと、その十銭のものが八銭やもう七銭にでも売れるような、私は精進をする人でなからなきゃ成功は出けんと思うですね。だからこれから、これまではなら店の経費がこれこれいるから、これだけは儲からにゃと言う亊になるます。その経費を本当に今、私が申しますような生き方でです。ね、言うなら、始末。これはまあ大阪商人の根性と言われておりますように、絶対、今時はそんなことはありますまいけれども、ぬくいご飯を食べさせないそうですね。小僧やら番頭さん達までは皆、冷やご飯。ありゃ、熱いご飯はよけい食べますですよ、やっぱ。だから必ず熱いのを炊いて、冷やしてからしか頂かせない。誰かが言ってましたが、兎に角あちらの卸先にいってからビ-ルをよばれると絶対、冷蔵庫に冷やしたちゆうのが無い。氷をこういれてから、こうやってからつぐ。そうすると沢山のごたるし、何杯でん飲むごたるわけ。そういう所まで心を使う。こりゃ、まあ商売人のけちんぼうという亊になりましょうけれどもね。けれどもやっぱ商売に限らんけれども。理ずめの良か人には勝ませんですよ。だからその理づめそのものもです、なら私共の場合は御物としての頂き方。又自分自身の頂いておる力と言うものを思うた時にです、それに即応した生き方こそ、成りゆきを尊ぶと言う生き方になるのじゃないでしょうか、ね。十万円の給料しかないのに十五万円のたとえば生活をしてごらんなさい。こりゃもう成りゆきを尊重した亊にはなりませんもん。昨日は私はその亊をしきりに思いましたから、先ずそういう御理解を聞いて頂いたんですけれども。今日は商売人に対する御理解ですけれども、ね。どこよりも安く、例えば売れるためにはなら、生活費をつめてからでも、お客さんに喜んでもらう、こういう信心になったら絶対繁盛せんはずがないですね。神様の気感に適うもんね。或る借金をいっぱい持っておる人が、私は或る人からいくら貧乏しよっちっちゃ、米位は一等米ばたべにゃち言うのを聞いてがっかりした亊があるです、私は。これだけ人に迷惑かけといてから米だけは、一等米食べなんてんなんてん、それこそもし私がそういう立場にたったら、くず米の屑米を、私や買って頂くだろうと私は自分で思いましたから、あのうそれを感じたんですけれどもね。もう、兎に角考え方がね、おかげの頂けん考え方をしているんです。私は成りゆきを尊ぶとか大切にすると言う亊を、亊の内容としてですね。今日皆さんに聞いて頂くような、分にすぎない生き方と言うもの。まあ昔の言葉で言うとそれが始末倹約と言う亊にもなりましょうけれども、私はそれは美徳だと思うですね。結局あのう自分につり合ったね、頂き方をすると言う亊はいわゆ成りゆきを尊ぶ亊になると思うんです、ね。成りゆき、今私の方に十万の収入しかないからせめて、八万位にして二万づつ位はいつも何か、いつどういう亊があるやら分らんから貯めてでもいこうという位な心がけが私は、それが信心でなされる時に言うなら、それが商売人であるなら、それだけは又、十銭のものを八銭で売れと言われるのを七銭で売れる亊にすらなるじゃないですか。だからそういう亊がです、なら売れるからだけではなくて、それが神様の気感に適うから思いもかけない繁盛に繋がってくるわけです。成程、合楽のまあ、他の方が見られて、合楽教会は大変贅沢だと成程、贅沢という亊ならよい言葉でいうならば、薫るようなおかげを頂いておると言う亊になるのじゃないでしょうか。それには私がいよいよ徹底してね、自然を重んじる心を以て今日まで、おかげを頂いてまいりました。成りゆきを尊ぶ、大切にすると言うふうに言うて来たけれども、今日皆さんに聞いて頂くような意味においての亊を申していなかったように思いますし、昨日筑豊支部の時に、そこに焦点をおいてお互いがただおかげを頂くじゃなくてね、いうならば、真、善、美、輝く。貧、争、病のない世界 に住まわして頂く為には、それこそ薫るような生活、生き方が出来る亊の為にもです、私は成りゆきを尊ぶ、大切にするというその亊をもっと深い意味においての尊重すると言う亊にならなければならん。一つ薫ると言う字をかいてみて下さい、ね。自然にそして重ずる。その心。果たして自分の生き方の上にこれが出けておるか。勿論成りゆきを大切にすると言う亊。流れ来ったものをそれをね、流れ来たったものとして受けていくという生き方が、成りゆきを大切にすると言うふうに言ってまいりましたけれども、その成りゆき、成りゆきと言う亊をなら私は今日は十万円の収入があるなら、十万円を越えるような生活をしたんじゃ自然を重んずると言う亊にならないと言うことを今日は聞いて頂きました、ね。        「どうぞ。」